松浦 信正(まつら のぶまさ)は江戸時代前期の旗本。書院番士、徒頭、目付を歴任した。

経歴

勘定頭松浦信貞の次男として生まれ、小普請松浦信生の養子となった。寛文10年(1670年)10月14日家督を継ぎ、11月19日徳川家綱に御目見した。寛文11年(1671年)9月13日書院番士、天和2年(1682年)5月25日徒頭。12月18日実父信貞の葛飾郡内知行地のうち700石を分知された。

元禄5年(1692年)4月14日目付となり、元禄6年(1693年)7月28日改易され桑名藩預りとなっていた喜多見重政が死去すると、調査のため伊勢国桑名に赴いた。

元禄9年(1696年)6月27日寄合に列した。元禄10年(1697年)7月26日埼玉郡内300石を与えられ、後上総国望陀郡内に移された。元禄11年(1698年)12月5日致仕し、瑞山と号した。正徳元年(1711年)11月28日75歳で死去し、麻布光林寺に葬られた。法名は道栄。

親族

  • 実父:松浦猪右衛門信貞 - 勘定頭。
  • 実母:大村式部娘
    • 兄:松浦覚左衛門信方 - 小姓組。
    • 長弟:松浦勘助信吉
    • 次弟:松浦八兵衛信勝
    • 妹:赤井五郎作忠広妻
  • 養父:松浦左内信生
  • 妻:松浦八郎左衛門娘
    • 長男:松浦酒之丞信英
    • 次男:松浦忠右衛門信福 - 松浦勘助信吉養子。
    • 三男:松浦河内守信正 - 松浦八左衛門信守養子。
    • 長女:星合摂津守顕行妻
    • 次女:青山市左衛門幸増妻
    • 養女:松浦覚左衛門信方娘、北条新左衛門氏如妻

脚注

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜』 第3輯、国民図書、1923年。 NDLJP:1082714/251

» <特別展>祖父は家康と秀吉「松江藩主 松平直政の生涯」真田丸攻めで初陣を飾った武将 松江歴史館 松江城東隣・松江の歴史を紡ぐ場所

【忠左衛門のさとし】芸術に触れた日 命を伝え自然で癒す猟師&料理人・世羅里志

写真家・鍋島徳恭さんによる中村吉右衛門さんの写真展が開催。初の作品販売も

松平太郎左衛門親氏像|松平氏城館(愛知県豊田市)の周辺スポット|ニッポン城めぐり

松浦義正