伊藤 崇文(いとう たかふみ、1972年6月21日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロレスラー。大阪府大阪市出身。

来歴

大阪府出身。高校時代はレスリング部で国体候補となる。

1994年、第2回パンクラス入門テストに合格し、パンクラスに入団。

1995年1月26日、パンクラス生え抜き第1号選手としてプロデビュー。

1995年7月、ネオブラッド・トーナメントに出場。ジェフ・マサギリ、稲垣克臣、柳澤龍志に勝利を収め優勝を果たした。ネオブラッド・トーナメント優勝後、2つの引き分けを挟んで9連敗を喫した。

1997年1月17日、パンクラスでヘイガー・チンと対戦し、TKO勝ち。連敗から脱出した。

1997年7月の道場分割で鈴木みのる率いる「横浜道場」(パンクラス横浜)所属となった。

2002年3月25日、パンクラス初代ウェルター級(-75kg)王者決定トーナメント1回戦で港太郎に3-0の判定勝ち。7月28日、準決勝で長岡弘樹に3-0の判定勝ちを収めるも、決勝では國奥麒樹真に腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。

2002年6月9日、初出場となったDEEPで日高郁人と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収めた。

2004年8月30日付けでパンクラスを退団したパンクラスism道場長國奥麒樹真に代わり、パンクラスismの道場長に就任した。

2004年10月12日、パンクラスで門馬秀貴と対戦し、三角絞めで一本負け。試合後のリング上でキックボクシング挑戦を宣言した。11月28日、全日本キックボクシング連盟の公式プロテストを受験し、合格した。

2005年4月17日、初出場となった全日本キックボクシング連盟でジョン・ジュンヒョクと対戦し、1ラウンドに3度のダウンを奪いKO勝ちを収めた。

2005年10月16日、全日本キックボクシング連盟で小宮隆司と対戦し、2ラウンドに3度のダウンを奪われKO負けとなり、キックボクシング3戦目での初黒星となった。

2006年2月18日、全日本スーパーウェルター級王座決定トーナメント1回戦で白川裕規と対戦し、右ストレートでKO負けを喫した。

2008年1月7日付けでパンクラスism道場長を辞任し、新道場長には大石幸史が就任した。道場にはそのまま残った。

2009年6月28日、DEEP TOYAMA IMPACTのセミファイナルでBarbaro44と対戦。サッカーボールキックからのパウンド連打でTKO負けを喫した。

2011年3月6日、プロレス初挑戦となったZERO1両国国技館大会で、栗栖正伸トレーニングジム時代の同期・日高郁人とインターナショナルジュニアヘビー級王座を賭け対戦した。8月7日には日高と組んでNWAインターナショナルライトタッグ王座を奪取した。

2015年10月10日、KEI山宮とタッグを組み、全日本プロレスに参戦。プロレスルールで野村直矢、青柳優馬と対戦し勝利した。

戦績

総合格闘技

グラップリング

グラップリングタッグマッチ

キックボクシング

獲得タイトル

  • パンクラス 第1回ネオブラッド・トーナメント 優勝(1995年)
  • 第10代NWAインターナショナルライトタッグ王座

出演

CM

  • 忍者WARS事務局「忍者WARS決戦予告」(伊藤崇文選手編)

脚注

関連項目

  • 男子総合格闘家一覧
  • 男子キックボクサー一覧

外部リンク

  • パンクラス 選手データ
  • 伊藤崇文の戦績 - SHERDOG(英語)

伊藤 崇文 選手|WRESTLE1(レッスルワン)公式サイト

伊藤博文被誉为近代日本国父,还差点身兼中日韩三国相印_百科TA说

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20230603 定アキラ対伊藤崇文 夢闘派プロレスです

ベースボールマガジン社BBM1996プロレスカード№176伊藤崇文(パンクラス)