劉 劭(りゅう しょう)は、南朝宋の皇帝。字は休遠。父の文帝を殺害して即位したが、3カ月で廃位・処刑された。

正史である『宋書』では元凶劭という名で列伝に記されて、正当な皇帝とみなされていない。このため、一般的には南朝宋の歴代皇帝に数えられていない。

人物

元嘉6年(429年)、6歳の時に文帝の皇太子に立てられる。元嘉30年(453年)、劉劭が呪詛を行ったとして、文帝は劉劭の廃立を検討するが、その動きを察知した劉劭は異母弟の劉濬とともに挙兵、夜間宮殿に侵入し、父の文帝を殺害した。その後、自ら皇帝に即位し、元嘉30年を太初と改元した。踰年改元を行わないことは当時の慣例に違う行為であった。

3カ月後、弟(文帝の三男)の武陵王劉駿(孝武帝)が将軍沈慶之の支援の下建康城内に侵入、劉劭は捕らえられ、後に処刑され、遺灰は長江に投げ捨てられた。

宗室

妻妾

  • 皇后 殷氏(殷淳の娘)
  • 王鸚鵡

いずれも劉駿に処刑された。

子女

  • 男子:劉偉之、劉迪之、劉彬之
  • 女子

いずれも劉駿に処刑された。

伝記資料

  • 『宋書』巻99 列伝第59

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