酒井 忠悌(さかい ただやす、1893年6月6日 - 1962年11月28日)は、出羽庄内藩11代藩主、伯爵・酒井忠篤の四男。鶴城書道会会長。致道博物館顧問。東北農家研究所相談役。山形県社会教育委員。通称は小三郎、号は南荘。子に酒井忠一。

人物

旧庄内藩酒井家当主・酒井忠篤の四男として鶴岡市家中新町に生まれる。伯父(忠篤の長兄)酒井忠恕の未亡人の瑛昌院に奉仕して桧物町邸に居住していたが、没後鷹匠町に移って、長い間酒井家の学問所・文会堂で経書を講じた。早くから漢学を赤沢源也に、漢詩と書道を黒崎研堂に学んでいて、昭和37年(1962年)3月に、松平穆堂の後を継いで鶴城書道会会長となった。致道博物館顧問。東北農家研究所相談役。山形県社会教育委員などを歴任した。

年譜

  • 1893年6月6日、鶴岡市家中新町に生まれる。
  • 1913年、荘内中学校を卒業する。
  • 1940年、荘内松柏会を設立し、自邸をこれに解放する。
  • 1950年6月、以文会(現・致道博物館)が設立され、顧問に就任する。
  • 1962年3月、鶴城書道会会長となる。
  • 1962年11月28日、死去する。享年69。

出典・参考文献

  • 『庄内人名辞典』 大瀬欽哉(代表編者) 致道博物館内「庄内人名辞典刊行会」(発行)

外部リンク

  • 財団法人 致道博物館 - ウェイバックマシン(2000年10月19日アーカイブ分)

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